歌謡ポップスって?

1960年代までの、日本の音楽の状況は、演歌もしくは演歌的な要素の強い歌謡曲か、外国のヒット曲に日本語詞を乗せたカバーが中心でした。もちろん、坂本九さんの「上を向いて歩こう」のように、当時としては洋楽に負けず劣らずの日本人の手による曲があるにはありましたが、数としては少なかったのです。

1960年代の中盤頃から、ビートルズの影響により、バンドを組んで歌う若者が増えてました。それが、グループサウンズ(GS)と呼ばれ、1970年にビートルズが解散する前後まで大ブームになりました。代表的なのは、沢田研二や岸部シローらが在籍していたタイガース、かまやつひろし、堺正章、井上順ら在籍していたスパイダース、故・井上忠夫(大輔)氏が在籍していたジャッキー吉川とブルーコメッツ、萩原健一が在籍していたテンプターズなどがあります。こうしたGSに、日本人の手によるポップス作品という意味の「和製ポップス」の曲が、数多く作られました。

1970年代に入ると、GSブームが過ぎ、フォークブームがやってきました。自作自演歌手(シンガーソングライター)の誕生です。元GSメンバーや元ロカビリー歌手の中で作曲家に転向したり(平尾昌晃、井上忠夫、加瀬邦彦など)、自作自演歌手の、他人への作品提供も始まりました(森田公一、吉田拓郎など)。一方、小柳ルミ子、天地真理、南沙織、野口五郎、郷ひろみ、西城秀樹といったアイドルには、和製ポップスを発展させた「歌謡ポップス」の作品が職業作家(橋本淳、筒美京平、阿久悠、都倉俊一など)によって提供されて行きました。70年代後半には、ピンク・レディが一世を風靡し、歌謡ポップスは隆盛を極めました。

1980年代に入ると、自作自演歌手が、他人に作品を提供することは、いっそう頻繁に行われるようになりました。もちろん、職業作家及び、職業作家と自作自演歌手との共同制作(松本隆と細野晴臣、大滝詠一、松任谷由実、売野雅勇と大沢誉志幸など)による、松田聖子、田原俊彦、近藤真彦、小泉今日子、中森明菜などのアイドルに対する作品提供も、引き続き活発に行われました。

1990年代以降、歌番組の減少とともに、世代を超えて歌い継がれる曲が誕生しにくい時代になりました。そして、それまで一線を画していた自作自演歌手と、作品を提供される歌手(アイドルを含む)が一体化され、歌謡ポップスは「J-POPS」に変遷を遂げました。

21世紀を迎えた現在の音楽状況は、職業作家が作品を手がけるよりも、自作自演の歌手(小室哲哉、つんく♂など)による作品提供が主流です。今後は、職業作家と自作自演作家が、競争するような形で、盛り上げて行って欲しいと思います。又、演歌も再興し、多くのジャンルの楽曲がチャートを賑わすことを願います。

 

 

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